栗山雅史(くりやままさし)選手とは?高いジャンプ力が魅力の選手!
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2019年度全日本男子バレー代表入りした栗山雅史(くりやままさし)選手について調べてみました。
栗山雅史選手は、1988年7月14日生まれの日本のバレーボール選手です。現在はV・リーグ Division1のサントリー・サンバーズに所属しています。
それではイケメンでもあり、人気の高い栗山雅史選手の詳細を見ていきましょう!
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Contents
栗山雅史選手のプロフィールとは?
- 名前:栗山 雅史
- 読み方:くりやままさし
- 年齢:30歳(2019年6月現在)
- 生年月日: 1988年7月14日
- 出身地:佐賀県佐賀市
- ニックネーム:クリ
- 身長:189 cm
- 体重:85 kg
- 指高:250cm
- スパイク最高到達点:350cm
- ブロック最高到達点:330cm
栗山雅史選手のボジションはウイングスパイカー(WS)で、コースを鋭く突くサーブを得意としています。
2019年のバレーボールワールドカップの出場候補にも入っていますので、活躍が楽しみですね。
栗山雅史選手がバレーボールを始めたきっかけとは?
栗山雅史選手は、佐賀県嬉野市出身で小学校3年生の時からバレーボールを始めたそうです。2歳上のお姉さんもバレーボールをやっていたようで、そんなお姉さんの影響を受けたことがきっかけとなりました。
聞くところによると、スポーツ少年団の規定で小3からじゃないとバレーをやりはじめられなくて、ずっと姉を見ていてうらやましく思っていたそうです。
そして小学校3年生、9歳になって、それまで習っていた水泳や柔道などをすべてやめてバレー1本に絞りました。
栗山選手のお父さんは柔道を続けてほしかったのですが、本人の意思は固く、バレーボールに熱中したそうです。全日本の代表選手にまで上り詰めた今となっては、お父さんも応援してくれていると言っています。
ちなみにお姉さんは高校でバレーボールをやめてしまったとか。しかしお姉さんのおかげでバレーボールに出会えてよかったですね。
高校は佐賀商業高校に進学、大学は専修大学へ
栗山選手は小学校・中学校とそのままバレーボールを続け、高校は佐賀県内では強豪の佐賀商業高校に進学します。
高校では全国の猛者の前にチームで顕著な成績こそ残せませんでしたが、専修大学に進学した後も練習を積んでいきました。
栗山雅史選手が在籍していたころの専修大学バレーボール部は、トップクラスというわけではなく、関東大学リーグの2部に所属していました。
しかし、栗山選手の活躍もあり、4年生の春には念願の1部リーグに昇格することができています。
小学校・中学校・高校・大学時代全てのバレーボール部で主将を務めた栗山選手。専修大学では関東大学リーグ戦で新人賞も受賞しました。
順風満帆に見えるバレーボール生活ですが、実はこんなつらい過去もあったのです。
大学時代まで選抜や代表に選出されず
小学生の頃にバレーを始めて、テレビとかで全日本バレー代表の試合がやっているのをみて、全日本の選手になりたいと思った栗山選手。
しかし、ユースやジュニアなど世代別の代表チームには1度も選ばれることはありませんでした。
そして大学4年生の秋になっても、なかなかVリーグのチームから声がかからなかったのです。
栗山雅史選手が、子供のころから描いてきた夢が絶たれようかと諦めかけたそんなとき、救いの手を差し伸べたのがVチャレンジリーグの東京ヴェルディでした。
そして2010年1月にVチャレンジリーグ東京ヴェルディに入団が内定し、その後、現在のサントリー・サンバーズに移籍。
チームが目をつけたのが栗山選手の高い跳躍力。最高到達点350cmのその跳躍力が栗山選手にとって飛躍する最大のチャンスを引き寄せました。
こうして栗山選手はⅤ・プレミアリーグへと歩みを進めてきて、子供のころからの夢だった全日本代表選手へまた一歩近づいたのです。
そして栗山雅史選手が夢だった全日本男子代表に初選出!
そんな中、転機が訪れます。
2011年9月に開催された近畿6人制バレーボール総合選手権大会に出場した時のことです。
この大会での栗山雅史選手のプレーが、全日本の中垣内祐一監督の目にとまったことがきっかけで全日本男子代表に初選出されました。
「本当に!?」
栗山雅史選手自身、何度も確認してとても驚いたようです。
今回は代表合宿への参加のみでしたが、越川優選手や石島雄介選手などのそうそうたるメンバーと練習したことで刺激になり、バレーボールに対する意識が上がりました。
全日本での経験をサントリー・サンバーズに持ち帰った栗山選手は、さらにバレーボールの腕を磨き、今ではサントリー・サンバーズにはなくてはならない存在へと成長を遂げたのです。
栗山雅史選手はさらなる高みへ
栗山選手は2014/2015シーズンに、それまでオポジットというポジションからウイングスパイカーへの転向を決意。
その背景には当時、オポジットは外国人選手がつとめていて、出場機会に恵まれなかったからです。
ウイングスパイカーへ転向した栗山選手は、チーム2位の得点源となるほどサーブやアタックを磨き、チームの勝利に貢献し続けました。そして不動のポジションを獲得。
その功績を認められ、2015/16シーズンからはキャプテンとしてサントリー・サンバーズを引っ張っていく柱として活躍しています。
「チャラそうですごい奴」栗山雅史選手?
小学生の頃から全日本代表選手へのあこがれを持ち続けた栗山選手ですが、なぜかバレー界では「チャラい」キャラが浸透しているようです。
そんな動画を紹介します。
「チャラそうですごい奴」って結局スゴイ奴ってことですよね?すごくなければ全日本代表にも選出されません。
次の章では、栗山雅史選手の全日本代表の選出歴について紹介します。
栗山雅史選手の選出歴は?
栗山雅史選手の全日本代表の選出歴を紹介します。
<2011年>
- 全日本男子代表選出
<2013年>
- 全日本男子代表選出
- バレーボール・ワールドグランプリ
2011年から日本代表に召集され、2013年には第21回ワールドグランプリに出場しています。
そして栗山雅史選手は、2019年のバレーボールワールドカップの出場候補にも入っていますので、活躍が楽しみですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
栗山雅史選手のプロフィールについてここまで紹介してきました。
子供の頃から夢見ていた全日本代表のバレーボール選手を自らの手で勝ち取った栗山雅史選手。
諦めずに努力を重ねていれば報われることを、自らの人生で証明し続けている栗山雅史選手の今後の活躍は非常に注目したいところです。

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