藤井直伸選手のプロフィール!ミドルを生かすクイックトスの名手!
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2019年全日本バレー男子代表入りした藤井直伸(ふじいなおのぶ)選手のプロフィールを調べてみました!
藤井選手は1992年1月5日生まれで、宮城県石巻市出身です。現在はV.LEAGUE Division1の東レ・アローズに所属しています。
そんな藤井直伸選手のプロフィールを紹介します。
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Contents
藤井直伸(ふじいなおのぶ)選手のプロフィールとは?
- 名前:藤井 直伸
- 読み方:ふじい なおのぶ
- 年齢:28歳(2020年1月現在)
- 生年月日:1992年1月5日
- 出身地:宮城県石巻市
- ニックネーム:フジイ
- 身長:183cm
- 体重:78kg
- 指高:232cm
- スパイク最高到達点:320cm
藤井直伸選手のポジションはセッター(S)。ミドルブロッカーの能力を最大限に引き出し、強気のトスワークが魅力の選手です。
ミドルブロッカーが生きることにより、アウトサイドヒッターへの相手のブロックが遅れるため、ダイナミックなバレーボールを展開できます。
藤井直伸選手がバレーボールを始めたきっかけとは?
藤井選手がバレーボールを始めたのは中学生のとき。全日本代表メンバーに入るくらいなので、家族の影響があったのではと思いますよね?
ところが調べてみると意外な事実が判明。藤井選手がバレーボールを始めた理由は進学した中学校の運動部が『バレーボール部しかなかったため』だそうです。
全日本代表のセッターにまで昇りつめた人の出だしが、このエピソードとは驚きますよね!
裏を返せばどんなプレーヤーでも努力すれば全日本の代表にもなれるチャンスがあるということを藤井選手が証明してくれたのではないでしょうか?
高校は地元の古豪、古川工業高校へ進学
中学校でバレーボールの面白さを見い出した藤井直伸選手は、県内のバレーボール強豪校である宮城県古川工業高等学校に進学してバレーボールを続けます。
古川工業高校は、宮城の県北にあるバレーボールの伝統校で、過去にオリンピックに出場したOBは蘓武幸志さんという方がおり、藤井選手で2人目です。
また余談ですが、宮城県の高校バレーの舞台が「ハイキュー!!」のモデルになったと言われており、古川工業高校はその中のひとつの高校として取り上げられた高校だそうです。
大学は関東の名門、順天堂大学へ進学!そして実業団へ!
藤井選手は高校卒業後、順天堂大学に進学し、関東1部リーグの中でセッターの腕を磨き上げてきました。
ミドルブロッカーを積極的に使うトス回しが藤井選手のプレースタイルとなったのは、この大学時代に確立されたと言っていいでしょう。
そして2013年11月、V・プレミアリーグの東レ・アローズに入団することが内定。藤井選手はここからメキメキと頭角を現して、2016/17シーズンにはミスを恐れずクイックを多用するトスワークでチームを8年ぶりの優勝に導きました。
その功績をたたえらえ、藤井直伸選手自身もベスト6に輝いています。
そして藤井直伸選手は全日本代表へ選出!
2017年3月にはその実力を認められ、全日本男子バレーボール代表に初選出。バレーボール・ワールドリーグポプラート大会でシニア国際大会デビューを果たしています。
このワールドリーグを順調に乗り切って調子は上がっていき、2018年バレーボール男子世界選手権予選を突破、アジア選手権優勝と素晴らしい結果をおさめました。
特にアジア選手権ではトスワークを評価され、ベストセッター賞を受賞しています。全日本代表として今後の活躍に注目を集めている選手の一人です。
たくさんの挫折(ざせつ)を乗り越えてきた藤井直伸選手!
世界を舞台に華々しい活躍を見せてくれる藤井選手ですが、じつはそのバレーボール人生は決して華麗なものではありませんでした。
むしろ藤井選手のバレーボール人生を見ていると「這い上がる」という言葉の方が適切なのかもしれません。私が知っているエピソードを紹介します。
高校時代は全国大会出場ならず無冠!
藤井選手がバレーボールの腕を磨いてきた「古川工業高等学校」時代、仲間とともに全国大会出場をかけて日々練習に励んでいました。
しかし、宮城県には「仙台商業高校」や「東北高校」というバレーボールの強豪校があり、インターハイや春高バレー出場には手が届かなかったのです。
負けず嫌いの藤井選手はこの悔しい経験があったからこそ、次の進路を全国のトップ選手が集まる関東の大学を選ぶきっかけになったのではないでしょうか?
2011年東日本大震災で実家が被災!

引用:http://www.tbc-sendai.co.jp/311-6years/170311nsta.html
藤井選手の出身は「宮城県石巻市」です。石巻市(いしのまきし)と言えば、2011年におきた東日本大震災で大きな被害を受けた地域です。
被害の大きさは分かりませんが、藤井選手の実家も被害にあったと聞いています。ちょうど藤井選手が大学生のころですから、離れた土地からご家族のことをさぞかし心を痛めたことと察します。
藤井選手は震災を乗りこえて前に進みます。
正セッターになったのは大学4年生
藤井選手が進学した順天堂大学は、関東大学1部リーグで戦うバレーボール強豪校。実力の世界、力があれば1年生でも試合に出られる関東大学1部リーグ。
全国大会出場経験のない藤井選手が、この大学トップリーグではなかなかユニフォームをもらえず、試合の出場もままならなかったとか。
しかし藤井選手はコツコツ、コツコツと努力を積み重ねて、ようやく大学4年生のときに正セッターの座をつかんだのです。
まさに遅咲きのプレーヤーと言っても過言ではないでしょう。
なかなか決まらなかった大学卒業後の進路!
そんなチームの中心選手をつかんだ藤井選手。しかし意外にも大学4年生の時になかなか進路が決まらなかったそうです。
チームメイトの4年生が、Vプレミア(現在のDivision1)やV・チャレンジ(現在のDivision2)のチームに進路が決まる中、藤井選手にはなかなか声が掛かりませんでした。
そして最後の最後、ようやく東レ・アローズへの入団が内定したと聞いています。藤井選手をひとことで表すならば、挫折(ざせつ)のたびに這い上がってきた『バレーボールの苦労人』に尽きると思います。
東レ・アローズで衝撃なできごとが!
東レ・アローズに入団してセッターの腕を磨いていた藤井選手。そんな中、藤井選手に今までのバレーボール人生がひっくり返るほどの事件が起こりました。
なんと当時、東レ・アローズの正セッターだった王金剛(おう こんごう)選手(※国籍:日本)が窃盗事件を起こして逮捕されたのです。
時期は12月。そしてチームは天皇杯(全日本バレーボール選手権大会)、まさに日本の頂点を目指す戦いの真っただ中。そんな大切な時期にチームは正セッターを失うことになってしまったのです。
しかしこの事件を機会に、藤井選手は試合への出場が増えはじめ、ついには東レ・アローズの「正セッター」に定着!
そして2016年の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会でチームは3年ぶりに優勝を奪還。その優勝の動画がこちらです↓
ついにここまで来た!そんな数々の試練を乗り越えて、今の藤井選手があるのです。
この動画でもわかると思いますが、藤井選手が全日本代表に選ばれた理由のひとつに、「ミドルを生かすクイックトス」です。
そしてその相棒となったのが、同じ東レ・アローズに所属する李博(りはく)選手です。李博選手のプロフィールはこちら↓
この2人のコンビは全日本の中でもピカイチです。李博選手も藤井選手がいたから自分の高さと速さという最大の武器が生かされています。
まさに『名相棒』と言ってもいいでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
藤井直伸選手のプロフィールを紹介しました。藤井選手の壮絶なバレーボール人生を感じていただけたのではないでしょうか?
生まれながらの親の七光りや、バレーボールのエリート人生を経てなるべくして全日本代表に選ばれた選手もいると思います。
しかし藤井選手は、本当に自分の力、そして努力でトップの選手まで這い上がってきた選手です。
これからも藤井直伸選手を応援していきましょう!

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