中垣内祐一(なかがいちゆういち)監督とは?元日本代表のスーパーエース!
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全日本男子バレーボールの監督を務めている中垣内祐一(なかがいち ゆういち)さんのプロフィールを調べてみました!
中垣内監督は、選手時代に日本代表のスーパーエースとして大活躍した人物です。
選手引退後は堺ブレイザーズの監督として2005~2006年シーズンでVリーグ優勝を果たし、その後の2011年に全日本男子代表のコーチに就任。
そして2016年10月25日からは、現在の全日本男子バレーボールの監督をつとめています。そんな中垣内監督のプロフィールを見ていきましょう!
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Contents
中垣内祐一監督のプロフィールとは?
- 名前:中垣内祐一
- 読み方:なかがいち ゆういち
- 年齢:52歳(2019年11月2日現在)
- 生年月日:1967年11月2日
- 出身地:福井県福井市
- ニックネーム:ガイチ
- 身長:194cm
- 体重:94kg
- スパイク最高到達点:346cm
まるで西田有志?中垣内祐一監督の選手時代!
中垣内監督が選手の時代、最高到達点は346cmで全盛期のジャンプ力は1m以上あったと思います。
当時の豪快なスパイクと圧倒的な得点力はそう、今の時代のエース、西田有志とうり二つと言っても過言ではないでしょう。
本当に素晴らしい選手でしたし、私の記憶では日本で初めてスーパーエースと呼ばれた男だったと記憶しています。
さまざまな場面で人々の記憶に残るような活躍を出した選手、それが中垣内祐一です。そして西田有志選手と同じく、女性にも大変人気のあった選手でもあります。
中垣内祐一監督がバレーボールをはじめたきっかけとは?
そんな中垣内監督がバレーボールを始めたのは、中学生の頃です。あれほどの大エースですから、小学生の頃からスポーツ少年団でバリバリやっていたのではと思っていたので意外ですね。
そして高校はバレーボールの強豪校ではない福井県立藤島高校へと進学。
中学に引き続きバレーボール部に入部し、仲間とともに切磋琢磨(せっさたくま)し、全国大会出場を目指しましたが、残念ながら出場の夢はかないませんでした。
この時点で中垣内祐一監督は、選手として全くの無名だったのです。
中垣内祐一監督の才能が開花した筑波大学時代!
中垣内祐一監督は高校卒業後、1986年に筑波大学体育専門学群に進学。良い環境の中でバレーボールの技術を磨いた中垣内監督は才能が開花し、メキメキと力をつけ頭角を現しました。
そして大学1年生にしてレギュラーを取ると、筑波大学在学中である1989年には、全日本男子代表に初めて選出。
この年に開催されたワールドカップにも出場し、世界を相手に経験を積んでいきました。
大学卒業後は実業団の新日鐵へ!
中垣内監督は大学卒業の1990年、新日鐵(現:堺ブレイサーズ)に入部。ルーキーイヤーにベスト6や新人賞を受賞。そして新人では異例のMVPに輝く活躍を見せました。
この頃からは、全日本男子代表のエースとしても欠かせない存在になりました。
全日本バレー男子代表では主将も経験!しかし大きな挫折も?
中垣内祐一さんと言えば、90年代を代表する男子バレーボールのスーパーエースとして活躍。1992年バルセロナオリンピックをはじめ、数々の国際大会に出場し、1994年には全日本の主将を務めました。
ここまで中垣内監督は順風満帆なバレーボール人生を歩んできたように感じますが、実は大きな挫折も経験しているのです。
それは、全日本男子バレー代表が1992年のバルセロナオリンピック出場したその後、3大会にわたりオリンピック出場を逃しているのです。
長年、日本のエースとしてチームを引っ張ってきた中垣内監督ですが、2000年にシドニー五輪出場を逃し、全日本代表を退きます。
日本の男子バレー代表がオリンピックに出られないという当時としては信じられない現実を突きつけられ、そして2004年に現役引退。
誰よりも悔しい思いを経験しているのです。そして中垣内監督は、次のステップである指導者の道へ進んでいきます。
中垣内祐一「ガイチ」と呼ばれた現役時代の人気ぶりとは?
当時を振り返ってみると中垣内監督は、日本の男子バレーボール人気をけん引する存在でした。
ファンから呼ばれた愛称は、「ガイチ」。
こんな本も出版されています。
中垣内祐一選手の魅力は、194cmという長身、そして最高到達点346mという高さから繰り出されるバックアタックです。
当時テレビで見ていてもジャンプ力は非常に滞空時間が長かったし、中垣内祐一選手にトスが上がったら、確実に点が入る雰囲気でした
苦しい時に決めてくれるスーパーエースとして、光り輝く存在でした。メチャメチャカッコ良かったんですよ!
中垣内祐一監督の現役時代の動画を紹介!
中垣内監督が選手時代の動画が残っていました。1991年のワールドカップのものです。
いやぁ、大変懐かしい動画ですね。時代柄、映像の質があまりよくないですが、当時の中垣内選手の活躍が良く分かります。
この頃の得点のルールは、現在のようなラリーポイント制ではなく、サイトアウド制でした。
サイドアウト制とは、サーブ権を持っている攻撃を決めたときに得点が入るという方式だったため、試合時間がとても長くなるという現象がおきていたのです。
中垣内祐一監督の現役時代のエースとしての活躍、そして女性ファンの多さもよくわかる動画です。
中垣内祐一監督は指導者としてバレーボール全日本代表に!
中垣内監督はVプレミアの堺ブレイザーズで監督をつとめ、チームをリーグ優勝に導くなど指導者としての実績も残しました。
その手腕を買われ、2016年のリオオリンピックの最終予選で敗退し、出場を逃した南部正司監督の後継者として、監督に就任したのです。
日本で開催されたワールドカップバレー2019では、男子の日本代表はメダルは取れませんでしたが、4位の成績で幕を閉じました。
しかし誰がこんな結果を想像していたのでしょうか?正直、もっと悪い結果を覚悟していたファンも少なくないはず。
そんな下馬評を良い意味で裏切り、長年低迷していたバレーボール男子日本代表を立て直して、日本を歓喜の渦に巻き込んだ手腕は高く評価するべきでしょう。
2020年の東京オリンピックでは、メダル獲得に期待が持てるチームになりました。もっと強くなれば、昔のようなバレーボール人気を取り戻せると思います。
中垣内祐一監督の選出歴、受賞歴は?
中垣内祐一監督が選手の時代の選出歴、受賞歴を紹介します。
中垣内祐一選手の全日本代表選出歴
<オリンピック出場>
1992年バルセロナオリンピック出場
<世界選手権出場年>
1990年、1994年、1998年
<ワールドカップ出場年>
1989年、1991年、1995年
このように1度のオリンピックに出場、そして世界選手権やワールドカップにはそれぞれ3度出場しています。
中垣内祐一選手の全日本代表選出歴
<1980年>
第24回日本リーグ 最高殊勲選手(MVP)、猛打賞、新人賞、ベスト6
<1991年>
第25回日本リーグ 敢闘賞、猛打賞、ベスト6
<1992年>
第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6
<1993年>
第27回日本リーグ ベスト6
<1994年>
第1回Vリーグ 敢闘賞、ベスト6
<1995年>
第2回Vリーグ 敢闘賞、ベスト6
<1996年>
第3回Vリーグ 最高殊勲選手(MVP)、ベスト6
<1997年>
第4回Vリーグ 最高殊勲選手(MVP)、ベスト6
<1999年>
第6回Vリーグ ベスト6
<2007年>
Vリーグ栄誉賞(優勝貢献、個人記録)
このように中垣内祐一監督は選手時代に、最高殊勲選手(MVP)3度、猛打賞3度、敢闘賞3度、ベスト6においては9度も輝いています。
ほぼ毎年のように賞を獲得しています。本当にすごい選手だったというのがよく分かります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?中垣内祐一監督のバレーボール人生、そして監督としての活躍を紹介しました。
ワールドカップ2019の全日本代表チームの活躍は本当に盛り上がりましたし、強い日本を感じてワクワクする戦いを見せてくれました。
東京オリンピック2020では、歴代最強と言われるようなチームをどのように作り上げていくのか、本当に楽しみですね!
ぜひメダル獲得に大きな期待も持てますし、これからも中垣内監督ひきいる全日本男子代表チームを応援します!
ガンパレNIIPON!

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