1. TOP
  2. 選手
  3. 中田久美監督のプロフィール!全日本バレー女子を率いるレジェンド!

中田久美監督のプロフィール!全日本バレー女子を率いるレジェンド!

 2018/10/03 選手
この記事は約 7 分で読めます。 5,561 Views

バレーボール女子日本代表チーム、中田久美監督。東京オリンピックを率いる監督でもあります。そんな中田久美監督のプロフィールを紹介します。

 

Sponsored Link

中田久美監督のプロフィールとは?

 

 

中田久美(なかだくみ)は、日本の元女子バレーボール選手です。現在は、スポーツビズに所属しており、指導者、タレント、スポーツキャスターとして幅広く活動を行っています。

現役時代のポジションはセッター(S)であり、当時は「天才セッター」と呼ばれて、最年少の15歳で全日本代表入りを果たすなど、女子バレーボール選手として大変活躍されました。

 

身長は176cm、スパイクの最高到達点は305cm、ブロックは289cm、そして両利きであったため、セッターとしては身長が高く、また身体能力の高い安定感のあるセッターとして知られています。

日本リーグ、プレミアリーグ(Vリーグ)時代を通じて最高殊勲選手賞を女子最多の4度も受賞ています。

 

プレミアリーグの久光製薬スプリングスの監督も務めていましたが、現在は全日本バレー女子の監督を務めています。

 

中田久美の来歴とは?

1965年9月3日生まれで、東京都練馬区出身です。母親からのすすめで練馬区立練馬東中学校に入学した時からバレーボールを始めています。

中学2年生のときに今は亡き山田重雄の英才教育バレーボールチームである「LAエンジェルス」の2期生として入団し、バレーボール漬けの日々を送るようになりました。

 

その後、バレーボールに専念するために高校は通信制のNHK学園高校に進学し、卒業しています。

 

中田久美監督は史上最年少の15歳で全日本代表に選出!

バレーボールに真摯(しんし)に向き合う生活を送り、その才能を開花させた中田久美は、1980年に大谷佐知子とともに中学3年生の時に史上最年少の15歳で全日本代表に選出されました。

この年の日中対抗戦でセンタープレーヤーとして出場しました。

しかし全日本のデビューはセッターではなく、なんとセンタープレーヤー(現在のミドルブロッカー)だったそうです。驚きですね!

 

そしてポジションはセッターへ!

この直後に山田重雄から素質を見いだされてセッターにポジションを変更します。

翌年1981年に日立に入り、セッターに転向してからわずか1年という短さでスタメンを獲得するほど、セッターとしての素質に磨きがかかっていました。

この年の日本リーグで日立は史上初の失セット0で全勝優勝という快挙を成し遂げ、中田久美は貢献を評価されて新人賞を獲得したのです。

 

中田久美監督はセッターとして全日本バレー女子の代表へ!

1983年からは、全日本女子バレーボール代表でもセッターとしてスタメンとなり、この年のアジア選手権では当時世界一の実力を誇っていた中国に勝利をおさめ、優勝しました。

この勢いのまま翌年1984年のロサンゼルス五輪でも銅メダルを取ります。

 

ケガを乗り越え3度のオリンピック出場を果たす!

1986年9月に開催された世界選手権では主将をつとめ、バレーボール選手として着実に経験を積んでいきましたが、この年の11月の練習中に右膝前十字じん帯を断裂し、一時は再起が不能といわれました。

その後、手術やリハビリを行って復帰するも完治は難しく、試合のときは痛み止めの薬を手放せなくなりましたが、不屈の根性でプレーを続けたのです。

 

そして1988年のソウル五輪に出場、4年後の1992年バルセロナ五輪にも出場し、日本女子バレーボール史上初の3回オリンピックに出場した選手となったのです。

中田久美がレジェンドと呼ばれる由縁ですね。この五輪では日本選手団の旗手もつとめています。

 

活躍の舞台は選手からタレントへ

このバルセロナ五輪を最後に11月に現役を引退しましたが、1995年に現役へ復帰しています。

1996年にはアシスタントコーチに就任し、翌年1997年には日立を退社。その後は、バレーボール教室などで指導、全国各地で講演、バレーボールの解説、そしてスポーツキャスターやタレントとして幅広く活動。

バレー界では、2005年から2006年にかけて日本バレーボール協会の強化委員をつとめました。

 

そして日本人初のイタリアプロリーグの指導者へ

2008年からは、イタリアプロリーグセリエA・ヴィチェンツァのコーチに就任し、日本人の女子として初めて海外バレーボールチームの指導者となる快挙を果たしました。

これをきっかけにコーチに次々と指名され、翌年2009年にはセリエA・ノヴァーラのアシスタントコーチに就任。

 

久光製薬スプリングのコーチに就任、そして監督へ

2011年9月には、久光製薬スプリングスのコーチに就任し、2012年7月1日付で監督に就任しました。

2012年12月24日に開催された天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会の決勝戦では、監督の就任1年目にして優勝へと導いたのです。

その後、Vプレミアリーグと黒鷲旗全日本男女選抜大会も制覇、女子バレーボールチームで初めてとなる3冠を達成。

 

満を持して全日本バレー女子の代表監督に就任

2016年10月25日、日本バレーボール協会理事会にて満場一致でバレーボール女子日本代表の監督に選出。これに伴って久光製薬では2017年5月に久光製薬を勇退、退部するまで総監督をつとめました。

今までのバレーボールの実力や今までの功績を認められ、2018/19シーズンからは全日本女子バレーボールの監督をつとめています。

 

また東京オリンピック2020でのメダル獲得にも中田久美監督の采配に期待をするところです。楽しみですね~!

 

※令和元年6月時点の情報です。

 

中田久美の受賞歴、選出歴は?

【オリンピック出場年】
1984年、1988年、1992年

【世界選手権出場年】
1982年、1986年

【ワールドカップ出場年】
1985年、1989年、1991年

【1981年】
第15回日本リーグ 新人賞

【1982年】
第16回日本リーグ ベスト6

【1983年】
第17回日本リーグ ベスト6

【1984年】
第18回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

【1985年】
第19回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

【1989年】
ワールドカップ ベストセッター賞

【1990年】
第24回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

【1991年】
第25回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

【2007年】
2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

中田久美さんのプロフィールを紹介しました。選手としても素晴らしい活躍をした上に、日本代表の監督としても輝かしい実績を残しているのが良く分かりますね。

東京オリンピックで、女子代表チームがメダルを獲る姿を見せてくれるでしょう!

 

鎌田 聡
気に入りましたらブックマーク登録およびSNSでシェアしていただけるとうれしいです。

Sponsored Link

\ SNSでシェアしよう! /

バレーボールらぼ!用語集の注目記事を受け取ろう

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

バレーボールらぼ!用語集の人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

Sponsored Link

ライター紹介 ライター一覧

鎌田 聡

鎌田 聡

スポ少指導歴18年、スポーツ推進委員歴10年の経験を活かし、主にバレーボール関連のスポーツライターに。自身もバレーボール歴34年の経験を持ち、バレーボール全般に関する悩みを解消し、健康で豊かな人生を送るための情報を発信します。

この人が書いた記事  記事一覧

  • 中川美柚(なかがわみゆ)選手のプロフィール!高い身体能力からの攻撃力に注目!

  • 藤井直伸選手のプロフィール!ミドルを生かすクイックトスの名手!

  • 李博(りはく)選手のプロフィールとは?日本が生んだ超高速スパイカー!

  • 関田誠大(せきたまさひろ)選手のプロフィールとは?日本が誇る司令塔!

関連記事

  • 西田有志(にしだゆうじ)選手!ファンをとりこにするサーブやスパイクが魅力!

  • 岩坂名奈選手のプロフィール!(全日本バレー女子代表キャプテン)

  • 樋口裕希(ひぐちゆうき)選手とは?男子バレー界の大谷翔平!?

  • 深津英臣(ふかつひでおみ)選手とは?頼れる日本の司令塔!

  • 井上琴絵選手のプロフィール!全日本代表バレー守りの要のリベロ!

  • 深津旭弘(ふかつあきひろ)選手とは?大型セッターとしての活躍に期待!