清水邦広(しみずくにひろ)選手とは?大けがを乗り越えて復活した頼れるベテラン!
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2019年度全日本男子バレー代表入りした清水 邦広(しみずくにひろ)選手について調べてみました。
清水 邦広選手は、1986年8月11日生まれの日本の男子バレーボール選手です。愛称は『ゴリ』。
ポジションはオポジットで、パワフルなスパイクを打つ、全日本で最も頼りになる選手のひとりです。
清水邦広選手のプロフィールとは?
- 名前:清水 邦広
- 読み方:しみず くにひろ
- 年齢:33歳(2019年8月現在)
- 生年月日:1986年8月11日
- 出身地:福井県
- ニックネーム:ゴリ
- 身長:193cm
- 体重:94kg
- 指高:260cm
- スパイク最高到達点:348cm
- ブロック最高到達点:330cm
清水邦広選手と言えば、長年全日本男子バレーを引っ張ってきた最も頼りになる選手で、そのパワフルなスパイクが魅力の選手です。
清水選手は身長も高いですが、ジャンプ力もあり、同じくらいの身長の選手よりも高い位置でのプレーができ、そして何より相撲部屋にスカウトされたこともあるほどの良い体格の選手です。
相撲部屋にスカウトされたことのバレーボール選手って過去にいませんよね?では、そんな清水邦広選手のルーツに迫って参りましょう!
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Contents
清水邦広選手がバレーボールを始めたきっかけとは?
清水邦広選手はいつごろからバレーボールを始めたのでしょうか?
清水邦広選手の目標はVリーグの選手!
調べてみると、清水さんは小学4年生からバレーボールを始めたとか。きっかけはお母さん。ママさんバレーをやっていた影響で興味を持ち、バレーボールを始めるきっかけとなったそうです。
小学校の頃、スパイカーに憧れていたにもかかわらず、なぜかセッターだった清水選手。
どうしてもスパイカーになりたい清水選手は、ポジションを変えてもらうため、わざとトスを失敗していたというエピソードも。(笑)
そんな清水選手でしたが、もうこの頃からVリーグの選手になることを夢見て、目標設定をしていたそうです。
『将来はVリーグに行く!!』と。
この頃から目標設定をして、夢をかなえた清水選手。やはり幼いころからの目標設定って、とても大切なことですね。
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中学生の清水邦広選手に訪れた分岐点とは?
そして中学生になると、その作戦が功を奏し(?)晴れてスパイカーに。毎日部活動に励んでいました。
そして事件が起こります。(笑)
なんと清水選手は中学生の時に、その恵まれた体格の素晴らしさゆえに、相撲部屋に来ないかとスカウトされたとのこと。
過去に全日本でも活躍された選手のなかでも、バレーボール選手が相撲部屋にスカウトされたなんてことは清水選手しかいないと思います。
確かにあの体格とパワーは清水選手の魅力でもありますし、仮に相撲の道に進んだとしても、清水選手なら成功していたと思います。
清水選手にバレーボールをえらんでくれて、ありがとうと言いたいですね!
高校は福井工業大学付属福井高校へ進学!
中学を卒業した清水選手は、バレーボールの強豪校である福井工業大学付属福井高校へ進学します。
『全国制覇』を目標に抱え奮闘しましたが、残念ながらその夢をかなえることはできず。
Vリーグの選手が目標だった清水選手ですが、高校卒業後すぐに実業団に行く選択肢もありました。
しかし、中学や高校時代に果たせなかった「全国制覇」の夢をかなえるため、東海大学に進学する道を選びます。
東海大学では夢だった「全国制覇」を達成!そして全日本代表へ!
東海大学では2年生の時に、大学生の日本一を決める大会「全日本インカレ」で見事優勝し夢だった「全国制覇」を見事に達成!
子供のころからの夢をかなえました。目標を設定しても、なかなかできることではありません。素晴らしいですよね!
そしてこの年、清水選手は全日本代表メンバーへ初選出されます。
12月16日に青山記念体育館で開催された全日本インカレ大会の際には、
全日本監督の植田辰哉監督が激励の演説をしてくれています。
まさに順風満帆のバレーボール人生ですよね!
清水邦広選手は史上最年少で全日本に初選出!
そしていよいよ清水選手の活躍の場所は全日本代表へ。
清水選手は代表デビュー戦でも大活躍!
清水邦広選手は東海大学在学中に、全日本代表のオポジットに選出されるほど力をつけるまで成長。
その実力をかわれて、2007年ワールドリーグ東京大会で白羽の矢が立てられました。
清水選手は緊急招集の翌日にさっそく試合に出場することになり、この試合が清水選手の代表デビュー戦となったのです。
これに引き続き、2007年に開催されたバレーボールワールドカップにも出場し、日本の初戦の勝利に貢献。清水選手にとって2007年は華やかな代表デビューの年となりました。
北京オリンピック出場を果たすも、その後は・・・
2008年には北京オリンピック世界最終予選でたたかったのち、北京オリンピック代表に選出。福澤達哉選手とともに、21歳の最年少での出場となり、世間の話題をさらいました。
しかし結果はメダル獲得に遠く及ばない、出場12チーム中11位で大会を終え、その次の2012年のロンドンオリンピックは惜しくも予選で敗退。
くしくもバレーボール男子の代表はそれ以降オリンピックに出場できていないのです。
そして舞台は東京オリンピック2020へ!開催地が東京のため、全日本チームは出場が確約されています。
若手が多い全日本の中で、ベテラン選手としてプレー面でも精神面でも支柱的な存在として活躍が期待されています。
V・プレミアの常勝軍団!パナソニック・パンサーズに入団!
そして東海大学卒業後2009年、何度も全日本代表として大会に出場したのち
清水選手はV・プレミアの常勝軍団のパナソニック・パンサーズに入団。
清水邦広選手はその年、11月開催のワールドグランドチャンピオンズカップに出場、全日本男子バレーの32年ぶりの国際大会銅メダル獲得には大変貢献しました。
それを称えられてベストスコアラー賞を受賞。
その後もパナソニック・パンサーズでも日本代表としても各場面で勝利に貢献し、さまざまな賞を受賞しています。
清水邦広選手の代表選出歴・受賞歴は?
清水邦広選手の代表選出歴や受賞歴をまとめてみました!
清水選手の受賞歴
<2009年>
- 第58回黒鷲旗全日本男女選抜大会 黒鷲賞(最高殊勲選手)ベスト6
- ワールドグランドチャンピオンズカップ ベストスコアラー賞
<2010年>
- 2009-10Vプレミアリーグ 最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6
- 第59回黒鷲旗全日本男女選抜大会 黒鷲賞、ベスト6
<2011年>
- 2010-11Vプレミアリーグ ベスト6
<2012年>
- 2011-12Vプレミアリーグ ベスト6
<2014年>
- 2013-14Vプレミアリーグ MVP、ベスト6、スパイク賞
- 第63回黒鷲旗全日本男女選抜大会 黒鷲賞、ベスト6
<2015年>
- 第18回アジア選手権 MVP
<2016年>
- 2015-16Vプレミアリーグ 敢闘賞、ベスト6
清水邦広選手はパナソニック・パンサーズに所属以降、ほぼ毎年受賞しています。本当に素晴らしい活躍です。
清水選手の代表選出歴
続いて清水邦広選手の全日本代表での選出歴を見ていきましょう!全日本代表として参加した試合は、以下の通りです。
- オリンピック:2008年
- ワールドカップ:2007年・2011年・2015年
- ワールドリーグ:2007年・2008年・2009年
- ワールドグランドチャンピオンズカップ:2009年・2013年
そして今年、日本で開催されるワールドカップでも出場が見込まれ、さらには来年開催の東京オリンピック2020への出場も目指しています。
清水邦広選手の大試練!東京オリンピック出場に黄信号!?
そんな清水選手にバレーボール人生最大の試練が訪れます。
それは、2018年2月18日に行われたVファイナルステージの対JTサンダース戦。スタメンで出場した清水選手はアタックの着地に失敗、右足の靭帯(じんたい)を同時に4カ所損傷する負傷をしてしまいました。
全十字靭帯は断裂や損傷すると治療・リハビリふくめ全治するまで約12カ月かかるといわれる大けがです。
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⇒ 全十字靭帯断裂から復帰までの道のりを赤裸々に語った体験談とは?
誰もが清水選手はもう選手としては復帰できないのではと考えました。
しかし清水選手は現役をあきらめませんでした。どうしても東京オリンピックを目指さないといけない理由があったのです。
そんな清水選手の復活にも注目です。
清水邦広選手!大ケガから全日本復帰までの軌跡(奇跡)とは?
清水選手が東京オリンピックを目指す理由、そして揺るぎのない決意を語っています。こんな動画を見させられたら清水選手を応援しない訳にはいきません!
ぜひ復活してあの力強いジャンプサーブやスパイクをわれわれファンに見せて欲しいものです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
清水邦広選手のプロフィールをまとめてみました。
現在の全日本代表の選手では唯一、福澤達哉選手とともに「オリンピック」を経験している選手です。
ぜひその経験を現在の代表選手に伝えて、東京オリンピックではメダル獲得に貢献してほしいです。
みんなで清水邦広選手を応援しよう!

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