東京オリンピック1964大会を丸裸に!競技や選手は?メダル獲得数は?
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東京オリンピック2020の開催、日本国民なら楽しみにしていますよね!じつは日本では2回目のオリンピックなのです。前回は昭和39年に東京オリンピック1964が行われたのです。
私はまだ生まれておりませんでした。
今から約50年前、当時はいったいどんなオリンピックだったのでしょうか?
たいへん興味がありましたので、1964年に行われた東京オリンピック大会を調べてみました。その内容を紹介しますので、ぜひ最後までお付き合いくださいね!
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Contents
次の東京オリンピック2020、実は3度目のオリンピックだった!
東京オリンピック2020が開催されれば、実は日本で3度目のオリンピックです。
「えっ!3度目?2度目じゃないの?」
誰もがそう思いますよね。
実は第11回ベルリン大会のあとの1940年第12回オリンピック競技大会は、東京で開かれることになっていたのです。
ではなぜオリンピックが行われなかったのでしょうか?
理由は「戦争」です。第12回東京オリンピックは、日中戦争によって中止に追い込まれたのです。その後、第2次世界大戦へ突入、そして敗戦。
初めての東京オリンピックは、まぼろしのオリンピックになってしまったのです。
東京オリンピック1964!日本で開催された初めてのオリンピック!
そして月日は流れ、1964年(昭和39年)、ようやく日本で初めてのオリンピックが開催されました。
開催地決定を報じた読売新聞(1959年5月27日付)
正式名称は「第18回オリンピック競技大会」で、期間は1964年10月10日(土)~24日(土)の15日間で開催、通称「東京オリンピック」ですが、一部競技は埼玉県、神奈川県、千葉県、長野県でも競技が行われました。
93の国と地域から、総勢5,152名(男子4,474名、女子678名)の選手の参加、20競技にわたって壮絶なメダル争いが繰り広げられたのです。
東京オリンピック1964!日本の選手のメダル獲得数は?
日本で初めて開催された東京オリンピックには、日本代表選手団437名が参加しました。競技に出場する選手が355人、大会を陰で支える役員が82名です。男女の参加数は男子が294名、女子が61名という記録が残っています。
そして気になる日本の夏季オリンピックの獲得メダル数は、
- 金メダル 16個
- 銀メダル 5個
- 銅メダル 8個
合計29個という成績でした。
前回大会(第17回)ローマオリンピックでは、金メダル4個、銀メダル7個、銅メダル7個の合計18個だったので、10個以上の上積みとなり、日本の選手の皆さんはとても頑張りました。自国開催での奮闘がうかがえます。
東京オリンピック1964!当時のポスターや大会ロゴとは?
東京オリンピック1964のポスターを調べてみると、全部で4種類あることがわかりました。第1号ポスターは1961年2月に作られて、枚数は10万枚印刷されたのです。
このデザインは大会エンブレムとしても使われています。作られてからすでに40年以上たっているのににもかかわらず、全く古さを感じさせません。本当にシンプルで斬新です。1964年の東京オリンピックエンブレムは今見てもかっこいいですよね!
2号ポスター
陸上のスタート写真を使用したこのポスターは、1962年に第2号ポスターとして、発表されました。
日の丸のデザインが印象的なこのポスターは、全体のディレクション第1号に続いて亀倉雄策が手がけ、写真のディレクションを村越襄、撮影を早崎治が行っています。日本初のグラビア多色刷りB全版のポスターとしても話題になりました。
第3号ポスター
続いて4つめのポスターです。
第4号ポスター
日の丸のクリアーさとオリンピックのスポーティな動感を表現していて、いま見ても素晴らしいですよね。
焼け野原となった日本が敗戦から立ち直り、そして1964年の第18回東京オリンピックを開催。当時の盛り上がりが目に浮かびますね!
東京オリンピック1964の聖火リレーは?通過コースを紹介!
聖火はギリシャから沖縄、そして東京へ
東京オリンピックの聖火は、開会式のおよそ2カ月前にあたる8月21日にギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で採火式が行われました。
ギリシャから日本までは、さまざまな国の11の中継地をへて、9月7日に沖縄に到着しました。
そして9月9日、聖火を乗せた飛行機、“聖火号”(全日空)は沖縄を出発し、鹿児島、宮崎を経由して千歳(北海道)に向かったのです。
この鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの出発点となり、9月9日から10月9日まで約1カ月をかけて、鹿児島→東京、宮崎→東京、北海道→東京(2ルート)を経由して東京都庁に集められました。
第1コース 9月9日(水)~10月9日(金)
鹿児島 → 熊本 → 長崎 → 佐賀 → 福岡 → 山口 → 広島 → 島根 → 鳥取 → 兵庫 → 京都 → 福井 → 石川 → 富山 → 新潟 → 長野 → 山梨 → 神奈川 → 東京
第2コース 9月9日(水)~10月8日(木)
宮崎 → 大分 → 愛媛 → 高知 → 徳島 → 香川 → 岡山 → 兵庫 → 大阪 → 和歌山 → 奈良 → 京都 → 滋賀 → 三重 → 岐阜 → 愛知 → 静岡 → 神奈川 → 東京
第3コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 秋田 → 山形 → 新潟 → 群馬 → 埼玉 → 東京
第4コース 9月9日(水)~10月7日(水)
北海道 → 青森 → 岩手 → 宮城 → 福島 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 東京
その後聖火は9日に皇居前に設置された聖火台において集火式が行われ、多くの聴衆にお披露目されました。
翌10日、皇居前から国立競技場までの最終聖火リレーでは男子5名、女子2名によって最終聖火リレーが行われ、最終聖火ランナーは坂井義則氏がつとめたそうです。
東京都内の聖火リレーのコースとは?
東京都内にはいってからの聖火リレーの通過コースを紹介します。
山梨コース(第1コース)
八王子市 → 町田市 → 由木村 → 秋多町 → 青梅市 → 羽村町 → 福生町 → 昭島市 → 日野市 → 国立町 → 国分氏町 → 小平市 → 小金井市 → 府中市 → 調布市 → 世田谷区 → 三鷹市 → 武蔵野市 → 練馬区 → 杉並区 → 中野区 → 新宿区 → 千代田区 → 東京
神奈川コース(第2コース)
大田区 → 品川区 → 目黒区 → 渋谷区 → 港区 → 東京
埼玉コース(第3コース)
板橋区 → 北区 → 豊島ク → 文京区 → 千代田区 → 東京
千葉コース(第4コース)
江戸川区 → 葛飾区 → 足立区 → 荒川区 → 台東区 → 墨田区 → 江東区 → 中央区 → 東京
オリンピックの聖火が一斉に東京を目指しているのがわかりますね!
東京オリンピック1964でメダルを獲得した競技とは?
東京オリンピック1964でメダルを獲得した個人および団体を調べてみました!
東京オリンピック1964金メダル個人
遠藤幸雄(体操男子個人総合)
遠藤幸雄(体操男子平行棒)
早田卓次(体操男子つり輪)
山下治広(体操男子跳馬)
吉田義勝(レスリングフリースタイルフライ級)
上武洋次郎(レスリングフリースタイルバンタム級)
渡辺長武(レスリングフリースタイルフェザー級)
花原勉(レスリンググレコローマンフライ級)
市口政光(レスリンググレコローマンバンタム級)
中谷雄英(柔道軽量級)
岡野功(柔道中量級)
猪熊功(柔道重量級)
桜井孝雄(ボクシングバンタム級)
三宅義信(ウエイトリフティングフェザー級)出展:wikipedia
体操やレスリング、そして柔道がおおいです。このころから日本のお家芸だったのですね!
東京オリンピック1964金メダル団体
遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(体操男子団体総合)
磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(バレーボール女子)出展:wikipedia
お家芸の体操競技(男子)と、東洋の魔女と呼ばれた女子のバレーボールが団体競技として金メダルを取りました!
東京オリンピック1964銀メダル個人
鶴見修治(体操男子個人総合、平行棒)
遠藤幸雄(体操男子床運動)
鶴見修治(体操男子あん馬)
神永昭夫(柔道男子無差別級)出展:wikipedia
東京オリンピック1964銅メダル個人
円谷幸吉(陸上競技男子マラソン)
堀内岩雄(レスリングフリースタイルライト級)
一ノ関史郎(重量挙げ男子バンタム級)
大内仁(重量挙げ男子ミドル級)
吉川貴久(射撃男子フリースタイルピストル)出展:wikipedia
東京オリンピック1964銅メダル団体
福井誠・岩崎邦宏・庄司敏夫・岡部幸明(競泳800mリレー)
池田尚弘・小瀬戸俊昭・小山勉・佐藤安孝・菅原貞敬・出町豊・猫田勝敏・南将之・森山輝久・徳富斌・中村裕造・樋口時彦(男子バレーボール)
池田敬子・ 相原俊子・小野清子・中村多仁子・辻宏子・千葉吟子(体操女子団体総合)出展:wikipedia
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アベベを覚えていますか?東京オリンピック、マラソン金メダリスト!
東京オリンピック1964の大会で日本人の間でもっとも有名になったのは、マラソンのアベベ選手ではないでしょうか?
アベベ選手の本名は、「アベベ・ビキラ」でエチオピア出身の陸上競技(長距離走)選手です。
1960年のローマオリンピックと1964年の東京オリンピックのマラソン種目で、史上初の2大会連続優勝をはたして2つの金メダルを獲得しています。
なんと本も出版されています。
アベベ・ビキラ 「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯/ティム・ジューダ/秋山勝【3000円以上送料無料】
アヘベ選手の代名詞となったのが、「裸足のマラソンランナー」が有名です。
1960年のローマオリンピックで空前シューズが壊れて現地で新しいシューズを購入しようと思ったのに、自分に合うシューズがなかったため、裸足で走って金メダルを取ったというエピソードが残っています。
その後日本で行われた毎日マラソンにも出場し、優勝も経験。
この時も「裸足で走る」と言い切っていたそうですが、スポーツメーカーのオニヅカから「日本の道路はガラス片などが落ちていて危ない。軽いシューズを提供するから履いてくれ」と説得されて、アベベはオニツカ製のシューズを履いて走ったとの記録があります。
ちなみに東京オリンピック1964ではプーマのマラソンシューズを履いて走ったそうです。(笑)
東京オリンピック1964の記念硬貨とは?
東京オリンピック1964記念硬貨について調べてみました。
東京オリンピック1964記念硬貨の発行枚数と入手方法は?
1964年2月14日に当時の池田首相の決断により、日本で初めての開催することになった東京オリンピック大会の記念硬貨の発行が閣議決定されました。
発行枚数は1,000円銀貨が1,500万枚、100円銀貨が8,000万枚です。
1,000円銀貨は各世帯に1枚、100円銀貨は国民1人あたり1枚を目安として決められたそうです。ちなみに100円銀貨は1964年度の100円硬貨発行計画分8000万枚をすべて記念硬貨でつくられたとのことです。
おどろいたのは記念硬貨の入手方法です。
なんと全国の金融機関の窓口で両替というかたちで引き換えて入手していたのだそうです。
当時は大会直前から引き換えが始まり、特に発行枚数が少ない1000円銀貨は、引換え当日から長蛇の列ができて間もなく品切れになるという大盛況でした。
東京オリンピック1964記念硬貨の価値は?
ちなみに現在、1964年東京オリンピック記念硬貨の価値はいくらぐらいなのでしょうか?
調べてみると、1,000円銀貨は未使用品だと5,000円程度、100円銀貨も未使用品だと800円程度のようです。50年前の、しかも日本で開催された初めてのオリンピックの記念硬貨のわりには、あまり高騰していないようですね。
しかし次の2020年東京オリンピック大会でも記念硬貨の発売も予想されるため、あらためて前回大会の記念硬貨の価値が存在感をしめす可能性も高いです。
今のうちなら比較的カンタンに入手できそうなので、興味のある方は入手しておくのもいいと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
1964年に日本で初めて開催された東京オリンピック大会の情報についてまとめてみました。
調べてみて分かったのが、選手の努力と頑張りはもちろん、大会のポスターやロゴ、聖火リレーや記念硬貨など
日本がひとつになって大会を盛り上げていたんだなと言うことがヒシヒシと伝わってきました。
あらためて2020年に再び東京オリンピックが行われること、そしてその時代に自分が存在していること、本当にうれしくてワクワクしています。
ぜひ東京オリンピック2020を日本国民みんなのチカラで成功させ、大きな感動を全世界のみなさんと共有して、素晴らしい大会になるよう、願ってやみません!
2020年の東京オリンピック大会は、みんなで楽しみましょう!
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